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個人的に思い出深いのは96年大会だ。折りしもこの年は3月のカールスバーグカップでポーランドを5-0と破り、名GKラベリ率いるスウェーデンと引き分けた。フランスW杯を目指す当時の日本代表に最も勢いのある時期だった。U-23代表も3月末に28年ぶりとなる五輪出場を決めていた。フランスW杯予選が始まる1年前、日本サッカーがにわかに勢い付いている年だった。欧州の強豪ユーゴスラビアと、北中米の雄・メキシコが出場するということもあって、日本サッカーが強豪国相手にどこまで通用するのか、それを計るための絶好の場だったのだ。
だが、さらに重要な要素も絡んでいた。このキリンカップの直後には2002年W杯開催国決定日、いわゆる「運命の6月1日」が待ち構えていたからだ。前述のカールスバーグカップが開催された香港でも、アトランタ五輪最終予選が開催されたマレーシアでもサポーターは日本開催を懸命にアピールした。ちなみに香港では開催国決定のための投票権を持っているFIFA理事のひとり、香港で2番目の富豪ヘンリー・フォク氏が観戦に訪れていた。 6月1日を間近に控えたこのキリンカップは、サポーターが日本開催を大々的にアピールするための最後の機会だった。初戦のユーゴスラビア戦の前夜は各チームのサポーターが国立競技場横の明治公園に集い、様々な横断幕を作成した。そこで作られた横断幕以外にも、試合当日は多数の2002横断幕が12番の大旗の周囲に広げられ、スタンドを彩った。壮観だった。 この日はデンマーク人のFIFA理事ポール・ヒルゴー氏が観戦に訪れていた。氏は女子フットボール委員会委員長という立場でもあり、ユーゴスラビア戦の前に行われた女子代表の試合にも懸命に声援を送る日本のサポーターに大きな興味を持ったに違いない。そしてスタンドからはデンマークコールも送られた。 もう9年前の出来事なのか、それともたった9年前の出来事なのか。いずれにせよこの年のキリンカップではスタンドから積極的にメッセージが発せられた。与えられた試合をただ見に行くのではなく、日本でW杯を見たいからスタンドは働きかけた。 ファイト溢れるプレーを見て拍手を送るというよりも、ファイト溢れるプレーを引き出したいから選手を鼓舞した。決して受身ではなく、能動的なスタンドだった。 この年のキリンカップは当然、優勝した。 あれから9年が経った今回のキリンカップはどういったスタンドになっているのか。日本-ペルーは新潟ビッグスワンで22日、13:20にキックオフされる。 (UNニュース)
by ultras_nippon
| 2005-05-21 01:36
| コラム
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